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日本生協連と全国の生協の震災支援の現地活動を報告します


by peaceJCCU

震災支援報告(日本生協連)(いわて生協支援者コメント)

東日本大震災の被災地生協(いわて生協) 支援者Sからの報告です。

東日本大震災対応で、いわて生協の支援に日生協の一員として行き、4月1日に戻りました。その後の活動の報告を致します。

1.「店舗」
(いわて生協牧野林店野菜売り場)          (牛乳売り場)
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(いわて生協は、12店舗あり、11店舗は内陸で、ベルフ青山店、アテルイ店、一の関コルザ店がスプリンクラー作動、壁落下など被 害多かったが、その他の内陸店は商品の落下。心配された宮古市にあるマリンコープDORA店は、海から少し内でぎりぎり大丈夫だった。内陸で店舗を開いているのは貴重で、DORAには長蛇の列とのこと。

3月28日に、滝沢村にある、いわて生協本部の近くにある、ベルフ牧野林店を見た。2年前に開店で、店内は床がピカピカ、窓が大きく明るく、商品陳列棚が低く見やすく、清潔感、鮮度感のあるいい店だった。生鮮はもともと強い生協だが、野菜が多くあり、驚いた。魚は対面販売しているが、担当者は「三陸産の魚がない」と寂しそうだった。肉は産地であり、ほぼ揃っていた。生鮮の充実度は他店を上回っている。
日配は、豆腐が盛岡産のアイCOOP品(油揚げは同じ工場で、豆腐優先の生産でなし)、納豆が秋田県産COOP品、牛乳はアイCOOPの湯田牛乳、卵は盛岡産と岩手内陸、東北日本海県などの生産品は入荷していた。生産工場の分散配置が大事と思った。

米は青森県つがるロマンがエンドに陳列。冷凍食品は、まったくなし。ドライは、ラーメン、缶詰め、小麦粉類などがほとんどなし、10日前のコープとうきょうと同じ(4月3日、コープとうきょうの店に行って驚いた。米たくさんあり、ラーメンあり、豆腐・油揚げあり、ないのは、納豆、水、魚缶詰)。東北道は、上下線とも大型トラックが少なかった。物が行き来していないと思った。

2.続「炊き出し」
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   (旧釜石商業高校炊き出し)
3月29日は、釜石に「炊き出し」をしました。。
最初の場所は、釜石市民体育館の避難所で、約500人がいる。おおさかパルコープが、調理済みおでんを500食分持参したのを提供。当初は昼飯で温め出す予定だったが、地元のラーメン屋さんが炊き出しすることになり、夕飯用になった。
体育館は、釜石の海から少し奥の方、小山町にあり、ここは小山町内会が炊き出しを震災2日後からしていた。会長は男性で、女性部のリーダーは佐々木富美子さん、生協の宅配の班長もしていた。女性部が数人交代で、味噌汁などを調理提供。おでんは具が卵、大根、ちくわ、さつま揚げなど多く、ありがたいと言っていた。おでんは、次の日の山田町でも、歯ごたえのあるものがうれしいと歓迎されたとのこと、調味も温めるだけで、いい食材と思った。釜石市の職員は、男性1人が窓口で、名刺交換しようとしたが、名刺もなくなったとのこと。釜石市役所は庁舎の1階が津波に会い、今は、シープラザという所に対策本部ある。

次の場所は、海が目の前の平田(へいた)地区で、旧釜石商業高校の体育館に約200人が避難。青森県庁生協の惣菜部、食堂部のプロがせんべい汁(大きな鶏肉、ねぎ、キャベツ、ごぼうなどに、最後にせんべいを入れる)を、昼に提供し、子供がたくさん並んだ。たくさん作ったので、おかわりもいいよというと、子供が喜んできた。ある小学生高学年位の女子は、少しはずかしがっていたが、2回おかわりをした。育ち盛りで、本当におなかがすいていたのと思うと、いとおしくなった。
ここは、高校の合宿所があり(釜石商業は弓道が全国大会に行くほど強かった)、そこで、おにぎり、味噌汁を作っていた。作っていたのは、ボランティアの人かと思ったが、聞くと、避難民ですという。幸い、プロパンガスがあり、女性が地震の日の夜から、真っ暗な中で炊き出しを始めたという。
いわて生協の理事長も、被災地調査の途中で、せんべい汁を提供している時に寄られ、青森県庁生協へ感謝していた。
両方の避難所は、地域の共同体(コミュニティ)が存在し、助け合っている。釜石の市内の避難所はそれがなく、避難所により違いがあると思った。

3.「いわて生協災害対策本部」
(炊き出し隊の朝礼、いずみ、パル)
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いわて生協は、本部に対策本部を設けています。飯塚理事長、菊地専務のもと、毎日、17:00から約1時間、店舗事業部、共同購入事業部、共同購入運営部、共済部、広報部、県連、炊き出し責任者、移動店舗責任者が、その日の状況を伝え、次の日の対策を話し合います。
各部長は具体的、的確に伝え、トップは決定していきます。テンポが早く、日生協には、本部に席を設けてもらい、会議にも出席でき、状況がよく分かりました。
職員の方は、沿岸出身の方が半分を占めるそうです。部長の中にも、お姉さんを含め親戚7人がなくなった方、お母さんがなくなった方がいて、捜しにも行けず、がんばっていらっしゃいました。

日生協には、支援物資の要請があり、人的支援のサポートも仕事です。
釜石市役所へ、COOP魚の缶詰(いわし、さんま 1千缶)は、3月30日にいわて生協に着き、31日に釜石市に届けています。お会いした40代の男性がそれを食べられると思うと、早い供給ありがとうございました。
また、灯油は、いわて生協は1日100キロリットル必要だが、今は30キロリットルしか
3業者から来ず(仙台などの製油所が壊れた)、日生協に要請があり、会員支援本部が全国の単協さんへお願いし、トヨタ、しが、京都、ユーコープ、にいがた、福井などの生協から約20キロリットル提供されます。ローリー車も被害に会い、運送が大変な中、手配してもらっています。いわて生協は、今、宅配登録者に18リットル限定で配達していますが、これは4日位で使うそうで、また、店も今後で、絶対的に不足しています。今年は、3月末でも、日中、例年10度位が、3,4度で寒く、雪も降り、5月初めまでは灯油がほしい。

今回、全国の生協からの支援の多さと熱さに、生協の連帯の強さを思いました。
炊き出し班のいずみ市民生協、わかやま生協は、延べ8日間、車3台、6人の支援で、
前日の夜までごはんを炊き準備していました。リーダーは、「避難所により、食の状況が違う、これでうちらも炊き出し止めていいのか」と言っていました。深い理解を感じました。
移動店舗販売班のコープさっぽろは、リーダーのもと、延べ6日間、8台16人の支援で、トラックへの物資をすばやく載せ、また、雪道走行に慣れていて、どこへでもスイスイ行っていました。日生協陣は、雪道の運転に慣れていず、ひやひや運転でした。日生協は、この運転も含め、車は4WDでなければならないなど、いろいろの点で、情報と準備不足でした。

いわて生協の被災地への直接支援の炊き出しと、移動店舗は、4月1日で終了となりました。これが第1段階の支援とすると、第2段階に何をするのかが課題となっています。
生協総研の金子さんが、県庁、県連、県社会福祉協議会と話を始め、日生協の対策本部へ、「生協として何ができるか」を検討しなければならないと、発信しました。
今後、検討となりますが、避難所の生活は仮設住宅ができるまで続き、それまでの食材の提供、炊き出し、ボランティアの組織など、また、家がある人への次の生活をどう支援するか、住宅地、地域の復興など難しい課題があります。

その前に、4月2,3日と9,10日の「牛丼1万食炊き出しプロジェクト」が全国肉牛業業議会提供の720kgの牛肉、野菜をもとに、炊き出しがあります。調理は、いわて生協がホームページで募った人たちにより行なわれます。

できることをすこしづつやる、ということだと思います。

いわて生協さんには、滞在中は、大変お世話になりました。帰る夜には、暖かい肉まんとあんまんを頂き、いわて生協さんの暖かさそのものと思いました。ありがとうございました。「またいらして下さい」と専務さんに言われ、是非、お伺いしたいと思います。
以上。
by peaceJCCU | 2011-04-04 11:03 | 全国の支援の取り組み